「ほっ」と。キャンペーン

月白風清 

a0132926_12455408.jpg
いつも通らない道を通りました。
野原にすすきがたくさん生えていました。懐かしい気持ちになり、スマホでパチリ。
今夜は十五夜で2011年12月以来の皆既月食。

写真は、半分近く地球の影に入った時の月。
a0132926_08524352.jpg
今日は月の禅語集めてみました。

「月白風清」 (つきしろく かぜきよし) ~説明~ 「茶席の禅語ハンドブック」より引用

『月が白いというのは、月が皓々とさえわたっている様子。そこへ、さわやかな風が吹くことによって、いっそう月の美しさが引き立てられます。それはまさしく、心中一点の曇りもない、すばらしい境地です。なかなかそんな境地になれるものではありません。しかし、せめてそんな美しい自然の情景にふれたときぐらいは、ふと思い出そうではありませんか。ああ、私たちの心は、いつのまにか濁ってしまっていたんじゃないか。あの月のように、すがすがしい心境になろう、もっともっと心を清めていこう、と。』


「掬水月在手」 (みずをきくすれば つき てにあり)

『「掬水月在手、弄花香満衣」と対句になっています。水を手で掬えば、空の月がその手のひらの中に映っている。野の花を摘めば、その花の香りが衣服に満ちあふれる、という意味です。二つの行為、つまり、掬すればこそ月が手に入り、弄すればこそ香が満ちるのです。
ただぼんやりとしていたのでは、何の結果も得られません。何か行動を起こすことで、はじめて結果が得られるわけですから、何事も拱手傍観はいけないということです。
そしてもう一つ大切なことは、月や花に心を寄せる、その自然を愛する心情です。
水を手で掬い、花を摘むということは、自然と一体となることです。
手の中の月を鑑賞する心の余裕、衣に満ちた花の香を味わう繊細な感性、そういうものを私たちはいつまでも大事にしたいものです。』

この↑禅語は以前書いた「逢花打花 逢月打月」と同じ感覚で、お気に入りです。
他、月が出てくる禅語三つ。興味があれば・・・下の続きをどうぞ。
 ↓




「吾心似秋月」 (わがこころ しゅうげつににたり)

『これは有名な『寒山詩』の一節です。空気が澄んで、さわやかな秋の空に月がかかっている。私の心はその月のように澄み切った心境だ。真如の月という言葉がありますが、昔から月は仏法そのものの真髄にたとえられてきました。汚れのない仏法に自分の心をたとえるということは、なかなかできることではありません。また、どんなに月が美しくても、空が曇っていてはその美しさはわかりません。心も、まず自分自身の心を磨くことが何よりも大切ですが、その心が美しく輝くためには、周囲の環境も必要なのです。』

「有花有月有楼台」 (はなあり つきあり ろうたいあり)

『これは「無一物中無尽蔵、有花有月有楼台」と対句になってます。無一物なるがゆえに無尽蔵だということ。「無一物」すなわち一切の執着、煩悩から解放された目には、すべてが無尽蔵の真実なのです。そういう目で見れば、それまで何気なく見ていた花も月も楼閣も、すべては美しく輝いて見えるのです。』

「花有清香月有陰」 (はなにせいこうあり つきにかげあり)

『これは蘇東坡の有名な句です。花には清らかな香りがあり、月の光には影がある。香りがあるからこそ花で、香りのない花など造花でしかありません。月もまた、影があることによって、その明るさがきわ立つのです。花と香り、月と影、それぞれは切っても切れない関係にあります。
人間もまた、この花と月のように、そのありかたはさまざまです。まさに十人十色です。そして、それぞれ持ち味や個性があり、それを発揮してこそよさがあるのです。』

この本の著者は相国寺、鹿苑寺、かつ慈照寺のご住職。

来年はたて花の研修が出来なくなるかも・・。
まだ決定ではありませんが、悲しいです。



[PR]
by rosa-aya | 2014-10-08 13:13 | 日々のこと | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード
<< かくれんぼ お客さん② >>